「しつけ」とは、元来、和裁をする時に縫いにくいところ、しかもその部分の出来不出来で「したて」の腕が問われるような言わば急所ともいうべきところにかけられたそうです。
ですから、「しつけ」は、どこででもかけるものではないし、また、難しいところにかけるため、忍耐と技術が必要になってくるらしいのです。
そのことが、子供のしつけにも当てはまるように思います。
特に「しつけ」において、一番大切なことは、それは、いつか取り去られるということ。
そして、「しつけ」の本当の意義は、「かける」ことではなく、しつけを取った後に美しい姿となって完成されること。
ですから、しつけ糸は、金糸や銀糸のように目立つ色の糸を使うのではなく、質素な目立たない糸を使うのが本来の姿。
もし、子供のしつけで金糸や銀糸を使ってかけるとしたら、それは、親の見栄や親の満足でしかなく、「しつけ」ではなく、「おしつけ」になってしまう。
2011年5月25日水曜日
しつけ糸の話
2011年5月15日日曜日
2011年5月5日木曜日
古いシステムの崩壊
日本に留まらず、世界情勢が不安定な状況になっている。
生命に必要とされる「水」と「空気」と「食べ物」に関しても、自己責任の様相すらある。
「古いシステムの崩壊」というキーワードが脳裏に浮かび、そのことを証明するような出来事が次々と起きている。
古いシステムの崩壊と今までの価値観からの脱皮。自然淘汰に向かうものもあるだろう。
とにかく3・11以降、僕達は意識が変わってきたと思う。
気宇壮大な時代に生かして頂いていることに、感謝して生きたい。