2005年12月27日火曜日

良寛さん




良寛さんは必要最低限のものだけに囲まれて生きた人だった。



国上(くがみ)山の五合庵は、6畳1間にいろりだけ。



所有していたものはと言えば、黒染めの衣と托鉢用の鉢と筆と紙ぐらい。



そして、心は自由自在・・・



これは、良寛さんだけではなく、本物と言われる人達に共通しているような気がする。



こころや暮らしが余計な脂肪をつけた肥満体になっていない。



今の時代にここまでは出来そうもないとしても、適度な脂肪や適度な筋肉がついている程度のシンプルさを保っているということは、必要で大切なことなのかもしれない。






良寛さんの有名な一文



災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。



死ぬ時節には死ぬがよく候。



是(これ)災難をのがるる妙法にて候。









2005年12月26日月曜日

問いかけの効果







こころの中への質問(問いかけ)は、磁石のように答えを呼び寄せるスイッチの役割を果たす。






本来、質問と答えはセット(ひとつ)である。






自分の心の中へ静かに質問(問いかけ)して置くと、答えはベストなタイミングでやってくる。






質問し終えたら、後は、ただ信頼して忘れてしまう位で丁度いい・・。






このことを自然な形で活用されている方はとても多いようで、自分がリスぺクトしている札幌市の上田市長も目をつむって心静かに「札幌に必要なものは何か?」という問いかけをされていることを講演で話されていた。






他にも、参考になりそうな質問をいくつか明記しておきたいと思います。











・自分は、自分の一生で何を達成したいのか?
自分が、本当にやりたいことは何か?(東大名誉教授/小柴昌俊)




・何によって人に憶(おぼ)えられたいか?(P.F.ドラッカー)




・わたしは誰で何をするために生まれてきたのか?
��エドガ−・ケイシー)




・これは本当に困ったことだろうか?(斉藤一人)




・自分が本当は、どうしたいか?
・・・と問うことは、私とは誰かを問うことであり、真我探究の道となる。













すべての答えは、自分の中にある。






丁度いい







知識や情報という筋肉は、ほどほどがいい






あまり付き過ぎていては逆効果になってしまう






それよりも、たおやかなのがいい






いつも適度にゆるんで柔らかいのが丁度いい

















かってブルース・リ−が、武術の師匠に言われ続けていた老子の言葉。




「幾年生きけるものは、すべて“たおやか”である。固くて強いものは、必ず砕けて粉々になる。」









武士道精神







日本に古来から伝わる武士道精神。




「武」という文字は、「戈(ほこ)を止める」という意味を持つ。




「戈」というのは、剣で相手を突き刺し、傷つけやっつけるということであるが、それを止める。




つまり「戈を止める」というのは、争いの思いを消し去るという意味のようである。




「武」というのは、戈を止める、争いを静める、愛の心・・・




その心を生きるのが、「侍」であり「武士道」であるという。




「武士道とは、死ぬ事と見付けたり」という言葉の本当の意味は、大きな目的(世界の平和・みんなの幸せ等)の為に自分を捧げ尽くし、小さな自我の心を死に切って、大きな自分を生かしていくということ・・・




反対に、相手を攻撃するというのは、その大半が恐怖心からくる自己防衛であることが多い。




そのことについて、分かり易く本質を突いている文章があったので、引用させてもらうことにします。











我あるが故に敵あり。我なければ敵なし。




敵といふは、もと対待(たいたい)の名也。




陰陽水火のごとし。




凡(およ)そ形象あるものは、かならず対するものなり。




我心(わがこころ)に象(かたち)なければ、対するものなし。




対するものなき時は、角(あらそう)ものなし。




是を敵もなく、我もなしと云う。






——「 訳 」——






自分があるから敵がある。自分がなければ敵もない。




勝ちたいとか、どうしようとか、こうしようとか




対立する概念としての自分をいかに消していくか。




争うものがなければ、敵もなく我もなし。




それがなければ、相手は独り相撲になってしまって勝負そのものが成り立たなくなる。




もし、自分が(俺が俺がという感じ)が無ければ、もう常に無敗でいられる。






剣豪の名言『猫之妙術(猫の妙術)』より









2005年12月25日日曜日

信頼というエネルギー










G-Tools






野球では、ピンチになるとピッチャーの心を落ち着かせるために、女房役を努めるキャッチャーがマウンドへ向かうことは定番になっている。




水島新司の野球漫画「ドカベン」プロ野球編の中で、日本ハムファイターズの不知火投手がピンチを向かえた際に、キャッチャーの土井垣が「おまえなら、この程度のピンチは軽いものだろう!!」とポジションに座ったままでいるシーンがある。




土井垣捕手が不知火投手を完全に信頼していることは、表情や発しているものによって伝わっている。




そうしたリードによって、不知火は必殺のスローボールでバッターを見事に三振に打ち取って試合に勝利することになるのだが、このリードのように相手を信頼することから生まれるエネルギーには、とても強力なものがあるような気がする。




本当に人のことを信頼することが出来ていれば、過剰な心配や干渉などの必要は無くなってくる。




信頼という光を送ることを大切にしたいと思う・・・










自分を信頼できる人は、人をも信頼することができる。






昇 華







怒り → 理解 → 納得 → 受容 → 感謝






怒っている時の息をフ−ッとビニール袋に吐き出してみる。




そのビニール袋の中身は、猛毒となる。




逆に、毎日植物に「元気で大きくなれよ」「ありがとう」など温かい言葉をかけると、スクスクと元気に成長する。




最終的に「怒り」は、「感謝」となって昇華していく(光になる)。




やはり、すべてのものに一発で「感謝」出来るのが理想である。






触れる







五感の見る、聴く、嗅ぐ、食べる、触れる・・・






この中の、触れるということも大切にしたい






手に触れてみることで、わかることもたくさんある






触れることは、感じること






頭を使っているだけだと感性は眠ってしまう























2005年12月21日水曜日

クリア










創作活動や執筆活動をする時、一番大切なことは




自分をいかにクリアでピュアな状態を保てるかにかかっている。




アーティストは神様に使われている道具である。




自分で書いているのではない。




自分は神様に書かされている楽器である。




自分をクリアにして心が澄んでいれば、神様が乗り移って始めて書き出せる。






脚本家/倉本聰











このことは、音楽、スポーツ、芸術、踊り、経営・・・すべてのジャンルに通じる真理のような気がする。




倉本監督だけでなく、数多くの人達が同じようなことを言っている。




ピアニストの松居慶子さんの曲も、ピアノの前で曲が降りてくるのをじっと待っていて生まれてくるものだという。




そうした、クリアな心から生まれてくるものは、自然と人の心の奥底へと響いていくことになる。




そして、それは、小手先なエモーショナル(感情を動かすテクニック)のように安っぽさを感じさせるものではない・・・




本物とは、クリアな心から生まれてくるものであるように思う。






2005年12月19日月曜日

静かな心







興奮を越えたところに静粛な源流がある。






本当のものは、すべて、そこから生まれて来ている。






静かな心から生まれてくるものには、本当の強さがある。






そういう心で在りたいと思う。








動中に静あり、静中に動あり























2005年12月18日日曜日

すべてはエネルギー














すべてはエネルギーである






形あるものは全て






目に見えない大きなもの(宇宙)の氷山の一角・・・






時代と共に、その姿や形も自由自在に変わっていく






移り変わる残像を追ってはならない






本質である光を見ていきたい・・・






Anonymous












人生は、良いカードを持つことではない




持ち札の中で最高のプレーをすること・・・




それが人生の醍醐味である






Life consists not in bolding




good card but in playing




those you bold well






☆作者不明









2005年12月17日土曜日

周波数帯







悪口を使うと、そこのレベルに周波数を下げてしまう。




逆に、他人のプラスを見い出そうとしたり、褒め称えて感謝するように心掛けると、周波数(周波数帯)やチャンネル(レベル)は上がってくる・・・。




そうして本当は、言葉や意識というチャンネル・スイッチによって、ラジオのように自分の番組を自由に選んでいる。








意識は周波数で、意志はアンテナ。






2005年12月16日金曜日

自然の特性
















自然界には、大きく3つ特性が挙げられる。















1.直線はなく、曲線しかない。




2.同じものはない。




3.常に変化して(流れて)いる。











自然界に生きる動物達は、先に起こることを感じて行動している。




自然の中では、瞬間的なものしか通用しない。




ただ、今ここを生きている・・・








Don't think.FEEL!(考えるな、感じるんだ)/ ブルース・リ−








2005年12月15日木曜日

心が惹かれるもの








心が惹かれるものに向かって、


黙って突き進みなさい。


それが無駄に終わることはないだろう。


by ルーミ−


2005年12月13日火曜日

80:20



広く知られているイタリアの経済学者パレートの「80対20の法則」。


パレートの法則とも呼ばれるこのことは、知っているか否かによって、仕事のやり方や人生の充実度に大きな影響をもたらすとさえ言われている。


「80対20の法則」とは、結果の80%は原因の20%から生じるというもので、これが様々な現象に当てはまるから面白い・・・。


僕らの日常の生活レベルで視てみても





・いつもよく使用するネクタイは、全体のうちの約20%位になっている。


・アドレス帳の中で、頻繁に交流している友人は、その中の約20%程である。


・たくさん持っている本の中で、たまに読み返す本は、ほぼ20%程度となっている。




と、いった傾向は確かに感じられるし、


微生物などを視てみても、全体を100とすると、20:60:20の比率で構成されている。


20は、善玉菌


60は、日和見��その状況に応じて善玉菌になったり、悪玉菌になったりするもの)


20は、悪玉菌


何度、悪玉菌を消し去ったとしても、必ず日和見の中の20%が悪玉菌へと変わることになり、20:60:20の均衡バランスが維持されることになる。


80:20は、あらゆる分野で作用している原則といえるものなのかもしれない。


2005年12月12日月曜日

スイカ理論




スイカに塩を少々振り掛けると、より甘くて美味しいものになる。


このように、逆のものをわずかに取り入れることによって全体がさらに調和することがあることは、ホメオパシーなどでも証明されている。


身近な例では、辛い時に好きな曲を聴いてみるとか、嫌いな人に自分から少しだけ話かけてみるといったことが挙げられるだろうか。


他にも日常の様々なことに応用出来ると思う。


この陰陽の図形をイメージしてみると解りやすいかもしれない。




相反するものが両極に分かれ、それぞれに逆の属性が小さな○として存在していることがポイントになっている。


2005年12月10日土曜日

ハインリッヒの法則





ひとつの現象に到るまでには、


29件の兆(きざ)しが発生している。


そして、それは300件の小さな要因が支えている。




企業のリスク管理や犯罪の予防などに使われている「ハインリッヒの法則」。


これは「ひとつの現象が現れるまでには、必ず何らかの兆しがある」ということのようだ。


まだ現象として現れる前にわずかに姿を見せてくれる“兆(きざ)し”。


「虫の知らせ」とか「一を見て、十を知る」とよく言われるように、この“兆し”を読み取るのに必要な資質は動物だけでなく、人間にも元々充分に備わっている。


ただ、なるべく心を揺らさないように静かに観察してみることによって、普段、気が付かなかったような細やかなものまで感じることが出来てくる。


平常心の大切さを説いている先人の方々は数多くいるが、「何かに過剰反応することなく、全体とかバランスとかを意識していることによって、こうした恩恵を授かることが出来るんだよ」と教えてくれているような気がする。




2005年12月8日木曜日

バタフライ効果



「北京で蝶が羽を動かして空気をそよがせると、やがてニューヨークの嵐の生じ方に変化が起こる」と例えられるバタフライ効果。


一見、何の関連のないような小さなことが、結果(全体)に影響や変化を及ぼしている・・・


このカオスのバタフライ効果とは、「すべてはフラクタルになっていて、連動し繋がっている」という本質的なことが、アプローチを変えて言い現わされているようにも思える。


小さなことが全体に大きく影響を与えて変化を促すということの身近な例では、「そばにある木を大切にすることは、海を大切にすることに繋がっている」ということがある。


今を大切にする、トイレ掃除をする(臨時収入が入りやすくなる)、身の回りの掃除をする・・・ことなどが人生にプラスの影響を与えるといったことも、バタフライ効果の一例なのかもしれない。

2005年12月7日水曜日

守・破・離



守・破・離という自己研鑽の3段階のプロセス。


世阿弥が説いたと云われるこのプロセスは、現在でも剣道や書道や空手など様々な分野で修行の基本として継承され、そして浸透している。


「守」は、基本となる教えを忠実に徹底していくことであり、ひとつのことに集中し、繰り返し継続しながら取り組んでいく段階。


自らを型にはめ、師匠の教えをしっかり守って、文字や言葉では伝わらないものも含めてしっかりと身につけて行き、さらに、そのことを堅苦しいと感じるエゴをも超えていく。


「破」は、「守」で身につけた基本に自分のオリジナリティを加えていく段階。
指導者の教えを“破る”ことになっても、自分で独自に工夫したやり方を試していく。


「離」は、茶道や剣道の場合、指導者のもとから“離れる”という意味であり、「守」・「破」の段階で学んだことを生かして、自分自身のオリジナルの道を探究していく。


この一連の流れは、創造発展のプロセスでもあり、すべてに通じるものとされている。

2005年12月6日火曜日

無為自然





我々に『無為自然』という道を示してくれた老子。


かなり高い空の境地に達し、完全に悟っていた人物のようだ。


「本物は、自らの残像を後に残さない」とも言われるように、老子に関しても不明な点が多く、一部では本当に実在していたのかさえも疑われている程である。


ちなみに老子については、「史記」老子伝に記載されたものが多くの書物の参考になっている。


それによると、あの孔子でさえも、周を訪れ、老子に礼について尋ねたところ、老子に心得違いを指摘され追い返されてしまったと云うのだから驚いてしまう。


しかし、老子の忘知第48を読むと、そのことは理解できる。


ここでの「学」とは、儒家(儒教)などの学問志向を指していて、老子はそれらに対してやんわりと戒めているところも興味深い。





学問をすれば日に日に世俗的な知識は増えていくが、逆に道を行なえば日に日に世俗的な知識は減少していく。


この世俗的な知識をどんどん減らしていくと、無為の境地に到達することが出来る。


無為の境地に到達すれば、あらゆることができる。


人為的な手を加えず、無為自然の道に則って、ひたすら「無為」を旨とすること。


「老子の忘知第48」より抜粋





中国の文化が日本に与えた影響は大きい。


そして、中国古典の言葉や事例を引用している人は、たくさんいる。


しかし、残念ながら、


老子の云う『無為自然』とは逆のベクトルのものなのかもしれない。