2008年12月18日木曜日

掃除に関する洞察




良くも悪くもアメリカの手先的企業の感がある「ダスキン」の創業者も、その精神的スタートラインは西田天香氏の主宰する一燈園(京都・滋賀を中心として家庭や事業所等を訪問して無償で便所の掃除をすることを活動としている)にあったと聞いたことがある。



■一燈園について(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%87%88%E5%9C%92



ダスキンはさておき、動の瞑想としての掃除という視点からみると、没頭し忘我することによって意識の新しい領域が現れてくるようになる側面がある。絶えず揺れ動く厄介な人の心を肉体作業に集中させることによって、逆に心の深い領域を開くことができるようになる。


その意味で、各家庭で行われつつある年末の大掃除というものは、大きな意味のあることだと思う。







下で拭いたり掃いたりすることが、どんなに経済の本体に触れるかは、浮き足になって、目先の奪い合いをしなければならぬ追われがちの生活者がわかることではない。


今の時代は根本的から変えねばならぬ時かと思う。

今のまま無事にいけると思うような者は識者の中にはない。


このままではいけないということは知りながら、どうしたらよいかわからぬものが多いのである。


たまにわかっても、やるには一段の勇気を要する。


大建設のためには、前途のある地位ぐらいは捨てて、拭いたり掃いたりすることから始めることが必要です。


��中 略)



自分を真剣に調べてみれば、自分がちゃんと知っているのです。



☆西田天香著「懺悔の生活」P117より






2008年11月15日土曜日

スモール







最小の中に、最大が内包されている。




この宇宙はすべて、フラクタルになっていることが分かってきた。




大きさの時代は終焉し、人々はスモール(シンプル)に価値を見い出すようになった。




小さくてもいいから、丸いものを作れ。




そこから、新しい礎が生まれる。








2008年9月27日土曜日

上等な酒







上等な酒というのは、何百年の歳月を経ようと、どんなに衝撃が加えられようと、コクと香りと味を失ったりはしないという。




何かの拍子に酸っぱい臭いを発する酒は、所詮下等な酒に過ぎない。




人間も同じかもしれない。






2008年8月24日日曜日

抜き書き












茂木健一郎 : 僕は、生命の本質というのは無名性にあると思うんです。命を支える働きって、ほとんどは無名でしょう。われわれの内臓、脳もそうですが、意識できることは本当にごく一部で、ほとんどの働きが無意識の中で行われているんですよね。文化財というものの命を伝えていくのが無名の仕事であるのと同じように、本当は命そのものも無名なんです。祖先がいなかったら、われわれは今ここにいないわけですよ。でも僕は、おじいちゃんの顔は覚えているけれども、曾(ひい)おじいちゃんの顔は知りませんからね。




プロフェッショナル仕事の流儀きのうの自分をこえてゆけ(茂木健一郎&NHK「プロフェッショナル」制作班 編)P91より抜粋













関連記事‐無 名




2008年8月3日日曜日

無 争



















我あるが故に敵あり。我なければ敵なし。




敵といふは、もと対待(たいたい)の名也。




陰陽水火のごとし。




凡(およ)そ形象あるものは、かならず対するものなり。




我心(わがこころ)に象(かたち)なければ、対するものなし。




対するものなき時は、角(あらそう)ものなし。




是を敵もなく、我もなしと云う。






——「 訳 」——






自分があるから敵がある。自分がなければ敵もない。




勝ちたいとか、どうしようとか、こうしようとか




対立する概念としての自分をいかに消していくか。




争うものがなければ、敵もなく我もなし。




それがなければ、相手は独り相撲になってしまって勝負そのものが成り立たなくなる。




もし、自分が(俺が俺がという感じ)が無ければ、もう常に無敗でいられる。






剣豪の名言『猫之妙術(猫の妙術)』より











相手を攻撃するというのは、その大半が恐怖心からくる自己防衛。






2008年7月5日土曜日

ただひとつのものを信じて







目に見えるものは、目に見えないものによって支えられている。




目に見えるものは、目にみえないものの氷山の一角。




ひとつのもの(かたち)は、広大な宇宙の相似形の姿。




小さくてもいいから、まず丸いものをつくろう。




そこが、フラクタルの起点になる。






2008年6月29日日曜日

アマゾン人との会話









Q:あなた方の生活を教えてほしい。




A:今日の食べ物を採るのが、今日の仕事。






Q:もし採れなかったら?




A:明日、採りに行く。






Q:それでも採れなかったら?




A:また次の日、採りに行く。






Q:困らないか?




A:困らない。困れば誰かにもらう。






Q: ‥‥。余分に採っておけばいいではないか。




A:我々は余分なことはしない。






Q:明日、飢えることがないではないか。




A:余分に採れば、腐る。






Q:ドライ(乾燥)にすれば腐らない。




A:ドライよりも新鮮なものの方がおいしい。






Q: ‥‥。




A:食事のときに人が来れば、一緒に食べる。






Q:誰でも?




A:誰でも。






Q:足りなくならないか?




A:あるものを分けて食べる。当たり前のことだ。






Q: ‥‥?




A:夜、人が来れば、泊める。






Q:誰でも?




A:誰でも。






Q:場所が足りるか?




A:泊める。泊めないとどうなるかわかるか?






Q:わからない。どうなるのだ。




A:ワニやヘビやピラニアがいる。泊めないとその人は死ぬ。そして私もいつか死ぬ。当たり前のことだ。






Q: ‥‥?




A:我々はポケットにも、家にも、余分なものを持たない。アマゾンの河も森も豊かだ。これは誰のものでもない。あなた方は何を心配しているのだ。私たちは何百年このように生きてきた。あなた方はどのような暮らしをしているのか、教えてほしい。






Q: ‥‥?










便利さは人間の能力をうばう。






2008年6月27日金曜日

2008年6月2日月曜日

フラワーエッセンス














かれこれ4〜5年ぶりのフラワーエッセンス(賞味期限は、大丈夫かな?)。




セラミックや重曹と並行して、場の浄化に使おうと思っています。




いつも拝見している引き寄せの法則公式ブログにも、フラワーエッセンスのことが書かれていました。




ちょっとしたシンクロですが、面白いなぁと思いました。









2008年5月26日月曜日

齋藤 孝







‐備忘録(箇条書きメモ)‐




5/25・札幌パークホテル(札幌市医師会主催)。




齋藤孝講演会「声に出して読みたい日本語」。













  • 身体間を繋いでおいて、そこに言葉を乗せるのが基本。

  • 頭がいいとは学校の勉強が出来ることではなく、文脈を即座に理解できる力。文脈力。

  • 技とは出来ること。

  • 感覚を繰り返すと技になる。

  • 型は、感覚を研ぎ澄ますためにある。繰り返す。応用がきく。

  • 暗唱したものは、自分の一部になる。頭だけで理解したものとは全く違う。

  • 「量質転化」ある一定量をこなすと質的変化が起きる。

  • 「技になっているか?」ということを問いかけてほしい。

  • 何回やっても大丈夫なのが技(自転車など)。

  • ヨーロッパでは暗唱できるのが教養。

  • 何かを覚えて技化(わざか)すると自分の一部になる。

  • 日本語を技化(わざか)する。日本語能力。

  • 日本人は、すべて日本語のボキャブラリーで考えている。イタリア語で考えることはできない。

  • 漢字が頭に浮かばない人には密度の濃い話は浮かばない。

  • もし、100のボキャブラリーしかなかったら単純な思考しかできない。

  • ボキャブラリーをたくさん持っていると理解力がつく。体系的構造的に理解できるようになる。

  • 理解力が増えると、情緒が安定する。理解力が足りないとイライラする。

  • ボキャブラリーが貧弱だと、自分が理解出来る範囲以外のものは排除してしまう。

  • 理解力の基本は母国語。

  • 世界中の人を結んでいる共通のものは「意味」。英語ではない。

  • 小さい頃からレベルの高い言語に触れるのはいいこと。

  • 言葉は、引用できて使いこなせることが大事。

  • あらゆることは、やってみなけりゃわからない。

  • 日本語を耳で聞いて、頭の中に映像を思い浮かべる。

  • 言葉というのは、感情や情景やイメージとセット。

  • 絵本や読み聞かせというのは、自分の中に映像が生まれる。それが大事。アニメだと、そういう必要がない。

  • 詩人というのは発見するもの。これが美しいと。

  • 詩人は、ことばを発見する。詩人はイメージで他の人に学習させる。

  • 身体と言葉、日本語はセット。

  • 言葉をさらに深く身体に刻むには「書く」。

  • 歳をとればとるほど、軽くならなければならない。







2008年2月13日水曜日

39号線







Image002.jpg







当時住んでいた家から幼稚園へ行くのには、国道39号線を渡らなければならなかった。




信号がちょうどいい場所になかったので、母が車が走っていないことを確認してから「それっ!」と背中を叩いてくれるのが合図となり、国道を無我夢中で走り抜けて幼稚園に通っていた。4歳から5歳までの2年間だった。




母と別れることになった去年の僕は、数えで39歳。




��9号線と39歳が、僕の中で有機的に結びついて融合する。ある種の象徴のようにも思えてくる。




「39歳からは、ひとりで生きていくんだよ。」




国道39号線をひとりで渡っていたことに、そんな未来へのメッセージ性が秘められていたのかなと思うと不思議でならなかった。