2005年12月6日火曜日

無為自然





我々に『無為自然』という道を示してくれた老子。


かなり高い空の境地に達し、完全に悟っていた人物のようだ。


「本物は、自らの残像を後に残さない」とも言われるように、老子に関しても不明な点が多く、一部では本当に実在していたのかさえも疑われている程である。


ちなみに老子については、「史記」老子伝に記載されたものが多くの書物の参考になっている。


それによると、あの孔子でさえも、周を訪れ、老子に礼について尋ねたところ、老子に心得違いを指摘され追い返されてしまったと云うのだから驚いてしまう。


しかし、老子の忘知第48を読むと、そのことは理解できる。


ここでの「学」とは、儒家(儒教)などの学問志向を指していて、老子はそれらに対してやんわりと戒めているところも興味深い。





学問をすれば日に日に世俗的な知識は増えていくが、逆に道を行なえば日に日に世俗的な知識は減少していく。


この世俗的な知識をどんどん減らしていくと、無為の境地に到達することが出来る。


無為の境地に到達すれば、あらゆることができる。


人為的な手を加えず、無為自然の道に則って、ひたすら「無為」を旨とすること。


「老子の忘知第48」より抜粋





中国の文化が日本に与えた影響は大きい。


そして、中国古典の言葉や事例を引用している人は、たくさんいる。


しかし、残念ながら、


老子の云う『無為自然』とは逆のベクトルのものなのかもしれない。



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