
新規のお客さん(男性)。名刺を渡して挨拶したその一瞬、自分の顔をちらっと凝視し「終わったら鍵をかけて、ポストに入れておいて下さい」。
「鍵をお預りするのでしたら、家の中に貴重品がないようにして下さい」と返答すると「そういう仕事をしている人に悪い人はいない」と・・・。
そうした人を見抜く眼力は、波瀾万丈の人生経験で出来たのだろう。
聖書の一説に、「生ぬるいものは吐き出される」とある。人間一度は、生ぬるさを拒否して、おそろしく熱いものか、おそろしく冷たいものの中に身を浸してみる必要がありはしないか。
そのとき人は身を焼かれるか、凍りつくかするだろう。しかし、そこから生きることの本番が始まるのだ。(大越俊夫著「自分との対話」より)
自分のところへ入れよう、入れようとするんじゃなくて、吐き出しなさい。
力も汗も、親切もお金も、自分のもっているものはすべて吐き出しなさい。
吐き出したら、ひとりでに入ってくる。
(常岡一郎)
桜の木が春に出会って花をもらうのではない。自分が冬の寒い日もじっと耐えて、準備してきたものが咲いたのである。しかし咲いた花はまた必ず散らねばならぬ。 どんな不幸も、災難も、出会ったのではない。自分が準備して育ててきたものである。
表面に現れてきたのは災難に出会ったのではない。自分の災難がこれで咲いたのである、やがて終わって散る、これですんだのである。いやなことは、あるだけ出てこい。早いがよい。すませてあとの生活をたのしむ。こう思えば明るさが生まれる。(常岡一郎)
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては環境の奴隷でしかありません。
どんなところに置かれても、自分が変われば花を咲かすことが出来ます。置かれた状況の中で咲く努力をして欲しいのです。どんな境遇に置かれても輝けます。
(渡部和子著「置かれた場所で咲きなさい」より)